日本人看護師から見えるメータオ・クリニック

2018年01月23日

メータオ・クリニックと日本とのつながり


「ここで働きだして、難民の人がより身近になったじゃないですか?それで友達とかに 今週の経験した出来事のテキストを送りつけると、え?っていうかミャンマーってどこ?とか返されて...なんかもう日本国内のことしか見ていないなあっていうのはすごく感じますね」




齊藤つばささんはミャンマーから来る患者さんが多いメータオ・クリニックで最近働きだした。つばささんは日本では大学病院の手術室の看護師として3年間働いていた。日本での医療現場の経験を経て、学生時代にスタディーツアーで訪れたメータオ・クリニックへやって来ることになった。

クリニックは日本から遠い場所にあるが、日本と縁のあるクリニックでもある。メータオ・クリニックには2007年から日本からも医師や看護師が派遣されているためだ。NPOメータオ・クリニック支援の会(JAM)定期的に医療関係者を派遣している。

今活動しているつばささんは、歴代の医療関係者の中で7代目の看護師にあたる。つばささんは、着任してわずか3カ月といういそがしい時期だったが、まったく手慣れた感じで私のロケの調整をやってくれた。私自身も10年以上前から、メータオ・クリニックのあるメーソットに通っている。国境沿いの町ということもあり、タイとミャンマーの両方の独特な雰囲気を持つ。クリニックの位置も以前は、国境へ向かう国道からすこし入ったところにあったが、空港のそばに位置し貸地の値段が高騰したため、2016年に引っ越した。そこで今回新しいクリニックへ初めて足を運んだ。

着任したばかりのつばささんが現地と日本の医療の違いについて感じていることが印象に残った。「例えば傷の処置。日本では見たことのない古いやり方でやっていて、物品がない所ではどう対応するのかというのは新たな発見でした」日本のように物資が充実していないため、処置の仕方が違うこともあり、どこのやり方が正しいということがなく、現地のやり方を尊重しているという。しかも現地の看護師も日本式やほかの外国のやり方を聞いて、それも参考にして新たな方向を模索している。




「難民っていうとアレでしょ。あのヨーロッパでいっぱい受け入れが来て大変な奴。そもそもなんで自分の国で生活しようとしないわけ」といってきた、友人とのメールのやり取りの例を出してくれた。何で難民が生まれているのか、自分で調べようとしないことを指摘し、つばささん自身も改めて考えるきっかけとなったという。

私とのつながり


実はこのメーソットの町に日本人の医療従事者は戦後13年ごろたった1958年ごろからいた。私、(松林)が2009年に発表した「花と兵隊」に出演してもらっていた中野弥一郎さんという方だ。


(中野弥一郎さんと妻マ・オンジさん2007年)



タイ・ミャンマー国境付近にいた未帰還兵とその妻を描いたドキュメンタリー映画だ。私はこの作品で映画作家としてデビューした。私はこの映画をきっかけにメーソットの町に通い始めたのは2006年、中野さんは2009年までご存命だった。最期を看とったのは、このメータオ・クリニックに派遣され働いていた日本人の医師だった。元日本軍の衛生兵だった中野さんは戦後日本に帰らずにいた。正式な医者ではなかったが、衛生兵の時に身に着けた医療技術があった。中野さんは心臓に病気を持っていて、万が一に備え、ニトログリセリンを財布の中に常備していたくらいだ。かつてこの近辺で中野さんは「日本の医者」と呼ばれていた。シンシア医師もその存在を知っていた。




1979年福岡県出身。05年アフガン選挙を取材。06年よりバンコクを拠点にアジア各地を取材。09年にタイ・ビルマ国境付近に残った未帰還兵を追った映画『花と兵隊』を発表、以降映像作家として活動。2013年には原発事故後、福島県相馬地方で生き残った馬を追った『祭の馬』を発表。著書に「馬喰」など。現在は沖縄県在住。

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