お母さんはアフリカに ~戦場を撮れなかった写真家~

2018年05月08日



撮影:桜木奈央子


お母さんはアフリカに


「お母さん、またアフリカいくの?」2人の息子に後ろ髪を引かれながら写真家の桜木奈央子さんは荷造りを進める。フルタイムの仕事を休み、子育てと家事を夫に託して、カメラ片手にアフリカに飛ぶ。"家庭を犠牲にして何やってるんだか..."と落ち込んでは"母の背中を見せなきゃ"と顔を上げる。桜木さんは日本とアフリカをまたぐ生活を17年続けてきた。

写真集『かぼちゃの下で―ウガンダ 戦争を生きる子どもたち』を開くと、家族を撮ったかのようにざっくばらんで親密なポートレートが並んでいる。題名から想起するような直接的な"戦争"の写真はない。
「なぜ戦争の写真を入れなかったんですか?」問いかけると彼女は、
「撮りに行ったけど、私には撮れなかったんです」と小さくて強い声で言った。
このドキュメンタリーは、戦争を撮れなかった写真家と元子供兵士の物語だ。

撮れなかった戦場


2017年、桜木さんとウガンダの北部に行った。
突き抜けた青い空と赤い土の間の緑のブッシュ(茂み)から子供達が走り出してくる。
「こういうブッシュが怖くて内戦の時はみんな近づきませんでしたね。いつ襲われるかわからなかったから」小さな村々を回りながら、桜木さんが時折つぶやく。

2001年、桜木さんのレンズには内戦中のウガンダ北部が映っていた。
政府と対立するゲリラ軍LRA(神の抵抗軍)はブッシュに身を潜め、村々を襲撃した。子供達を誘拐し洗脳し子供兵士に仕立てることでLRAは戦力を拡大していた。平穏な日常の生活圏がいつ戦場になるかわからない静かな戦争だった。ある朝、LRAに燃やされた家の周りを欧米のジャーナリスト達が囲んだ。焼け焦げた赤子の死体を見つけてシャッターを切る彼らの傍らで、桜木さんは立ちすくんだ。「お前、撮らないのか?何しに来たんだ?」そう言われても動けなかった。すぐ後ろで、家の主が泣いていたからだ。
"自分がこのオジさんだったら、撮られたくない"。
どの現場でも同じだったという。両腕を切り落とされた元子供兵士、唇をナタで切り取られた村人達、レイプされて顔に大怪我をおった少女...カメラを向けようとするたびに違和感を感じ、眠ると悪夢を見た。
桜木さんは、カメラを置いた。
"何かできることを"と避難シェルターの運営に携わった。LRAの襲撃から身を守るために集まってきた子供達を抱き、寝食を共にした。「夜中にずっと壁を叩き続けている子供もいて。あまりにも恐怖が大きかったから心が壊れていて。何人もの子がいつの間にか来なくなって、私の手からこぼれ落ちていったんです」。
恐怖で寝付けない子のために、桜木さんらスタッフは焚き火を始めた。
ひとつの光を見つめながら歌や踊りに夢中になることで、つかの間、戦争を忘れた。得体の知れない暗がりに囲まれながらも人の営みがあり、笑顔があった。桜木さんは戦時下の人間の前向きな生き方に惹きこまれていった。
2006年、内戦が終結した。
戦場の撮影者達は去り、桜木さんはウガンダに残った。

遅すぎる内戦取材


撮影は人に入り込み、時に暴力的に内面を切り取ってしまう。カメラを向けた相手の心の襞をめくって傷に触れたら、その痛みにどう向き合えばいいのか。撮影中、人の人生に触れることに躊躇い、苛まれながらも『撮る』ことを肯定しようとする。撮ることで相手の声を運ぶ役割を担う以外にないと思えるからだ。撮って、その場から去り、伝えることが取材者だとすると、撮れずに立ち去れないまま痛みを負った人は何を担うのか。

リラという町の埃っぽいホテルに着くと桜木さんは、笑いながら話し続けた。
「今になって内戦のことを残さなきゃなと思って。遅すぎますよね。こっちの友達にも笑われて」。
桜木さんから話を聞いていると、内戦をつい最近のことのように感じる。もう10年以上も前のことなのだが。ふと、子供の頃、祖母が言っていたことを思い出した。「戦地に行った男達は、戦争が終わっても10年は語らなかったわ。"十年一昔"って本当なのよ」
その体験が強烈であればあるほど、時間が経たないと人は言葉にできないのかもしれない。

桜木さんは"遅すぎる"内戦取材をしようとしていた。


元子供兵士マイク


ブッシュを掻き分けて車を進めた。夫婦で身を横たえるといっぱいになってしまう小さな家が2つ3つあるだけの集落に着いた。桜木さんの友人ガブリエルのつてで、元子供兵士のマイク・オクロ(24)に会うことができた。8歳で誘拐され、3年の間、兵士として過ごし、脱走して村に戻ってきたという。
坊主頭に子供っぽい無邪気な笑顔で出迎えてくれた彼だったが、レンズを向けると獣のような眼光で逆に射抜かれた。煽られるようにRECボタンを押した。その眼は、ただ生きるためにどんなことでもしなければならない地獄を生き抜いた痕跡のようで撮りながら鳥肌が立った。
「もうインタビューは終わりでいいか?腹が減って、これ以上話していられないんだ」
マイクは生活の困窮を語った。子供兵士だった時に酷使した足が痛み、農業で稼げず、2人の子供の教育費を出せなくなりそうだと言って下を向いた。
「僕は、あまりにも多くの物語を持っている」
その呟きの続きを聞きたくなったが、負担に思われてはいけないと引き上げた。

次の日、マイクから連絡があった。
「わざわざ遠くから来てくれてありがとう。自分に何があったか話す」と言ってくれたが、桜木さんは聞くことをためらっていた。
「人を殺したかとか、聞いちゃっていいことなんですかね...」
多くの人の戦争体験を見聞きしているはずの彼女が、未だにこんな傷つきやすさを持っていることに驚いた。

マイクの正面にカメラを据えた。レンズを睨みつけながら彼は語り始める。

「拉致されるとまず、家畜の糞尿を水に溶かしたアルコールのようなものを飲まされた」

死んだ母以外に語らなかったという戦争体験を、彼は何度も反芻し物語化していた。おそらく、自分の過去を自分にわからせるために。

「指揮官達は糧を得るために恐ろしい事をした。眠っている人々を殺し、音楽をかけ、僕はダンスをさせられた。彼らの快楽が僕は苦痛だった」

「脱走者を捕まえる3、4人の兵士がいて、ある日呼び出された。草むらに入ると脱走した友達が、目と内臓を全部出して死んでいた。"お前が逃げるならば同じ目にあう"と言われた」

「2人の人を殺せと強制された。自分の意思とは無関係に」

死ぬ思いで村に帰ると待っていたのは差別だった。マイクにとっては"自分の生まれ育ったふるさと"への帰還だったが、村の人にとっては"反政府ゲリラ軍の子供兵士"が村に入ってくるという認識だった。村の子供の一人だったマイクはどこにもいなかった。集会に出ると"殺人者"のレッテルを貼られて陰口を言われた。村の重鎮だった祖父がレッテル貼りはやめようと呼びかけた。兄は自分の家にマイクを呼び寄せ、一緒に暮らした。真夜中に飛び起きて表へ走り出すことがあった。「奴らが追いかけてくる」と叫ぶマイクに兄は「もう戦争は終わったんだ」と言い聞かせたという。

目の前にいるマイクが10歳前後で経験したことに全く想像力が追いつかず、ただ撮影に集中した。マイクの内面の揺れが伝わってきて、自分が撮っているのはインタビューではなく、いくつものシーンなんだと理解した。
桜木さんは顔を歪ませながら聞いていた。
「今度は私の話をするわ」
彼女が戦争の時の話を始めると、マイクはあどけない顔に戻った。
もうレンズを睨みつけることはなかった。

ホテルに帰ると桜木さんは「マイクはいいほうですよ。自分の村を襲撃しなくて済んだし。ゲリラは子供達に"帰りたいか?"って聞いて、頷くと自分の村を襲わせたんです。そういう子は帰れないから」と言った。「あの時の子供達は、大きな流れに呑まれてわけもわからず生きることしかできなかったんですよ」。

ふと、8歳のマイクが血で濡れた手のひらを見て佇んでいる姿が想い浮かんで、取り返しのつかない痛みの存在を感じた。日本からウガンダに来て、実際に会わないと人の痛みにたどり着けない自分の傷つきにくさを不快に思った。


撮影:桜木奈央子


光のまわり


マイクが「ごちそうするから」と電話をくれた。
腹が減ってインタビューができなくなるくらい貧乏なのに、鶏を潰して料理してくれるという。桜木さんはものすごく喜んだ。「可哀想だけど潰したばかりの鶏は本当に美味しいから、泣きながら食べるんです」と力説してくれて可笑しかった。

電気のないマイクの村に、町で借りてきた発電機の音が響く。
桜木さんが白いシートを広げて小さな上映会を作り始める。2016年から始めたプロジェクト、子供達に初めての映画体験を届ける『アフリカ星空映画館』だ。
どこから聞きつけたのか村人達が次々に集まり、老若男女が上映の光を見つめた。日本のアニメ作品に呆気にとられた子供達の顔はいくら撮っていても飽きなかった。ほんの1時間ほどの間に感情が喜怒哀楽を行き来してうねり成長していくように思えた。隣の人の匂いや肌の温度、囁きや笑い声。桜木さんが言う「今ね、"ナオコの上映は焚き火みたいだね"って言いにきてくれた人がいたんですよ」。深い共感に支えられているこの場所で、嬉しそうなマイクの横顔を撮りながら、良かったと思った。

暗がりの中、光を見つめる無数の顔を桜木さんは撮影している。
彼女が何を撮っているのかわかる気がした。
そのほとんど無防備なまでの傷つきやすさのせいで、彼女はここにいて傷が癒えるのを見届けなければならなくなったのだ。




1984年、東京都生まれ。社会の周縁に生きる人々の知られざる物語をテーマに制作。デフ(聴覚障害)の人々が東日本大震災をどう生き延びたのかを手話で記録した『あの日、音のない世界で』(NHK world)や、過疎の村に残る人々の声を拾った『異人がやってきた町』(NHK BS1)など。2016年のTOKYODOCS(国際ドキュメンタリー提案)では、デフの親を持つ子を扱った『私だけ 聴こえる』がベストピッチ賞を受賞、北米最大のドキュメンタリー映画祭HOTDOCSのピッチングに選出された。ドキュメンタリーを日本のカルチャーにすべくジャンルを越えた制作者のコミュニティ”BUG”を共同主催。

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