鬼ヶ島の祭 ~小さな島で行われるマッチョな秘祭~

2017年10月20日

1 ● 強烈な光景~太鼓台の上の4人の少年

高松港の北々東約4キロ沖の海上に、女木島(めぎじま)という名の小さな島がある。ここは『桃太郎』の鬼ヶ島の舞台だという説がある。2011年8月7日のうだるような暑さの正午過ぎ、僕はこの島にいた。本作の撮影から6年以上経った今でも強烈に目に焼き付いている光景がある。

太鼓を叩く4人の少年を乗せた大きな物体が海にプカプカと浮かんでいる。物体の正体は太鼓台というもので、西日本の瀬戸内海沿岸では、よく神事のメインとして用いられ、あたかも神そのものようにどこまでも丁重に扱われるものである。この地では、それを〈ちょうさ〉と呼ぶ。重たい丸太の棒を各々の肩に食い込ませた20名ほどのカキテ(担ぎ手)の男たちが「ちょーうさー、ちょうさー」と大声を張り上げて、なんとか重たい足を運んでいる。皆一様に浅黒く、彩度の強過ぎる原色の鉢巻を頭に締めている。

〈ちょうさ〉の中央上部の高欄では、「若中」の文字が正面に読める赤く奇妙な帽子を被った少年たちが、まるで巨大な五徳から吹き上がる炎のように、腕を左右交互に振り上げ太鼓を叩いている。彼らの身体は布団数枚分もの綿でギュウギュウに括られており、炎というより4体のパンパンに膨れあがった機械じかけのミシュランマンのようだ。当然、中は凄まじく窮屈であるはずだが、彼らは平然と大鼓を叩き続けている。この少年たちは〈太鼓乗り〉と呼ばれ、神の化身のように扱われる。

海中を歩くこの集団の中には、高そうなカンカン帽を被って、粋な文様を染め抜いたド派手な浴衣を戦闘服のように着た4名の強面たちがおり、時折なにやら木棒を振りかざして、疲労困憊したカキテたちに怒号のような叱咤激励を浴びせかける。

何も知らず海水浴にきて、愉快に遊んでいた無邪気なカップルや家族連れたちは、突如として海に入ってきたその集団の異様さに呆気にとられている。僕は海面から一脚に載せたカメラをヒョコッと出して、この異様な光景を撮影していた。

2● とてつもなく厳格なルール

元々の祭は旧暦6月にやっていたらしく、その時は満潮と重なっていたので不可避的に海に入っていたというが、その記憶を再現するため、現在も海に入るコースが採用されているということらしい。

この祭、正式には住吉大祭という。2年に1度、2日間にわたって行われる。「これで最後かも」と請われて本作を撮ったのであるが、つい先日の今年の8月にも祭が行われたと風の噂で耳にしたので今でも存続はどうやらしているらしい。

祭はとてつもなく古い規約に則って運営されている。その中で「門外不出」と書かれていたのか、これまで島外に向けて宣伝等行うことは一切なかったのだという。人のためではなく、神のためにするものだからというのがその理由らしい。そのせいもあってかあらゆることがガチガチに決められている。(だがそのおかげで余りこれまで映像記録が残っていないため、この映像の貴重性が幾分増すことにはなった。)

たとえば映像前半、太鼓台を作り上げるシーン。太鼓を紐で括る役は誰でも良いわけではなく、一子相伝で受け継がれた特定の家の人がやらねばならない。そして厳粛に徹底されている「女人禁制」という規則。そもそも女性は太鼓台〈ちょうさ〉を触ることすら一切ゆるされない。彼女たちはただ、遠くから見守っているだけだ。おそらくこれは漁師さんらが今でも月のものを「不浄」として遠ざける習慣に起因していると思われるが、いやはや凄まじいまでのマッチョイズムである。

ガチガチはまだ終わらない。我々メディア関係者は、太鼓台と太鼓乗りの少年たちを絶対に見下ろしてはいけないということを注意事項として重々に念押しされた。今まで神輿に移す瞬間だけは撮らないようにみたいなことを言われることは多々あるが、こういうことは言われたことがない。また太鼓台の半径5m以内に入ることも絶対に駄目だとも加えて指示され、接近してしまって凄い剣幕で怒られた撮影者も実際いた。これは画角や撮影ポジションを決める上でかなり影響が大きいルールだったが、とにかく言われたとおりにした。

最初は頭の中にクエッションマークがたくさん浮かんだが、ここまで相手が真剣だと、やはりこちらも「神」がいるような気がしてくるから不思議だ。あの少年たちは本当に神の化身のように扱われ、地べたを歩くことすらできないし、途中でトイレ休憩することもできない。我々は少年たちに近づくことも、触れることともできないのだが、何か それらを「神聖なもの」のように扱おうという意識が僕の中にも生れたのを覚えている。

3 ● 「最後の祭」とならないために

なにかをジャッジしようとしているわけでも、する権利もないが、その上でカメラを持った傍観者としての個人的印象として脳裏によぎった〈今後への課題〉のようなものを2点ばかり最後に記しておく。

(課題1.古過ぎる規約の改定は可能かどうか)

明治初期に作られたという〈規約〉に則って運営されているこの祭。その強烈なマッチョイズムに、なぜかスッキリした気持ちすら身勝手にも抱いてしまったのだが、当事者たちにとってはかなりキツく厳しいものだろうなと思ってしまった。どう考えても、すべてを未来永劫同じルールのままでやるのは流石に無理であろう。

そもそもこの集落は、オーテという名称の石壁に囲まれた中にある、狭くて密集した昔ながらの集落である。固定された住民の血統が代々そこにいて、新しい住民が加わるようなことは滅多にない。近年は瀬戸芸(瀬戸内芸術祭)などで旅行者が訪れるようになってきて、ひょっとしたら移住者なども住みだしているかもしれないが、風通しはすこぶる悪いだろうと推測できる。先代、先々代の喧嘩をいまだに引きずって口を聞かないとか、年功序列が強すぎて50を過ぎても若造扱いされるとか...そいういう話もいくつか聞いた。憲法改正論議ではないが、そういった住環境の中で、古色蒼然とした規則を当世風に変えられるかどうかが、次で「最後」とならないための継続的課題かと思われる。もっとも古いルールがすべて悪いわけではないし、ずっとそれで続けられていたのだから何らかの合理性は絶対あるはずであるので、何を残して何を変えるかというのが一番難しい点であるだろう。

(課題2.太鼓乗りとカキテは今後どう確保するか)

「子供がおらんのよ、子供が」と橋本さんがセンチメンタルに述懐されていたように、過疎化による子供の減少が、祭にとっても、島自体とっても一番の課題であることは間違いない。島の小学校は子供がいないため、現在休校中であるとも聞く。中学生は海路で高松の中学へと通っているのが現状だ。祭に参加する子供たちにとっては〈太鼓乗り〉になることは一生の誇りとなるものだろうが、学校のスケジュールとの調整なんかも色々大変ではないだろうか。仕事も漁業や役場、農協、漁業組合等しか島内にはなく、大多数が島外へ出ていく。上述の狭い人間関係がイヤになって飛び出す者もいるだろう。解決策はおそらくただ一つ、よそ者をどれだけ混ぜるかということだ。映像内に瀬戸芸のボランティア団体である〈こえび隊〉のメンバー山本さんのインタビューが出てくるが、カキテの絶対数をいかに確保するかを考えると、むしろ彼らがそのうち主力になっていかなければいけなくなるはずだ。

日本の各地で、高齢化でカキテがおらずに山車や神輿に車輪を付けて押すというケースが見受けられるが、こうなってしまったら、神の魂振りとしての神輿は死んだも同然であるだろうし、難しいところだ。未来の〈規約〉はどのような形になるのだろうか。

4 ● 現実を越えてしまうなにか

インタビューに登場する橋本時雄さんの「礼に始まり礼に終わる」という言葉がやたら頭に染み込み、その後の僕の撮影者としての態度に深い影響を及ぼした。今でもタブー視されているものや、「撮るのはやめろ」と言われたものは絶対に撮らない。神的なものはすべて見下さない。そして無意識に、年長者だけでなく年下だろうと子供だろうと、インタビューなどではだいたい見上げるような格好になっている。

冒頭の光景に加えて、もう一つだけ今でも覚えている強烈な光景があった。太鼓台が島内の集落内を進み、みなが港の付近に留まっていた時であったか。中老たちが軽そうな神輿をゆさぶり、シャンシャンとさせている。その横で天狗のお面を付けた一人の男がヒョウキンな行動をとっている。おそらくアドリブであろう。それを見ていた数名の老婆たちがその天狗に何かをねだる。すると天狗は老婆の乳房めがけて鼻っ面をつけた。...僕は衝撃を受けて、金縛りにあったようにそこに立ち尽くした。これが僕が「決定的瞬間」と呼んでいるものだ。言葉で説明しずらいのだが、自分では絶対にイメージできないなにものかに遭遇してしまったような瞬間のことだろうか。この眼前が、ただのコピペ的反復ではなかったのだと気づかせてくれるような瞬間である。こういうものに出会うために僕は東京を出ようと思ったはずであるし、今でもカメラを持ってあちこちをさまよおうとしているのだとも思う。




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記事・動画制作協力:Yahoo!ニュース個人編集部

千葉県県生まれ。長岡活動寫眞代表。東京でフリーランスとして、様々な自主映画のカメラ・照明・美術スタッフ、伝統工芸の紙加工職人の弟子、映像アートプロジェクトの主催、NPOのアートディレクター、映像会社のクリエイティブディレクター等として働いた後、2010年徳島県神山町へ移住。神山町で長岡活動寫眞を立ち上げ独立。 現在は徳島県で“最後の村”佐那河内村の山の上にある古民家で家族6人で住みながら、ドキュメンタリー映画と広告映像を制作している。 代表作『産土』『神山アローン』等。

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