山奥のリアル ~映画『産土』特別編①〜

2017年12月01日

●産土とはなにか?


「産土」という言葉をご存知だろうか?「うぶすな」と読む。これはかなり昔に作られた言葉で、今現在では神社などの界隈で使われているぐらいで、一般には全然浸透していない。むむ...と思った方、知らなくて当然なのでご安心を。場所によっては神社の名前についていたりしているので馴染みのある人もいるかもしれない。

語の直接的意味は、それぞれの地元にいる神さまのことであったり、土地そのもののことを指す。誰かがどこかで産まれる。するとその地の「産土」は、その人が死ぬまでの間ずっと、その身を守ってくれるのだという。たとえ彼/彼女がその土地を離れてどこか別の場所へ行ってしまったとしても、それは変わらないとされる。ざっくりと言えば、「ローカルな守護霊(=ゲニウス・ロキ)」のようなものであろうし、「ローカル」そのものとも言えるであろう。

その「産土」という名を冠した長編ドキュメンタリー映画を制作したのは、今から5年ほど前の2012年になる。今まで短編しか作ってこなかった自分が、本作制作へと踏み切った理由を少々大袈裟に言ってしまえば、この国とは一体なんなのかを知りたかったからだと思う。とにかく自分の足で現在を見聞きしたかった。それに尽きる。

2012年の1/3ぐらいの期間で、北は山形から南は沖縄までの6つの県を旅した。訪問先は「限界集落」と呼ばれている秘境の村や、誰も住まなくなってしまった所謂「廃村」。或いは多くの人が林業に従事している四国の山奥や、有機農業を集団的にはじめたような山陰の村。はたまた山伏たちが厳しい修行を続けているような場所や、何百年と続いてきた聖なる祭がなくなってしまった離島など、多岐に渡る。

今あっさりと羅列したが、実際のロケ地選定は非常に苦戦した。企画自体、ゼロから始めるのでなんらサンプルもなく、全国的ネットワークを有しているわけでも、それを補うべき潤沢な予算があるわけでもない。なんとか様々なツテを辿って一つ一つを決定していった(この映画自体、様々な友人知人とともになんとか作った"「藁しべ映画」のようなものなのである)。とまれ、ようやく長年の夢でもあった全国映像行脚が、いよいよ実現できそうになってきた。だが僕の中にはひとつの疑念というか諦念のものがあった。津々浦々すべてが均質になってしまい、あらゆる場所に道や橋が当たり前に通っていて、どこかしこにもコンビニや自販機が乱立するような時代にあって、一体僕に何が撮れるだろうか?と。ものの本に出てくるようなプリミティブな行事や祭礼、或いはかつて姫田忠義さんらが記録してきたような幾多の古い物事はもはやほとんど絶滅してしまっているはずだ(ああ、もっと早く生れてきたかった)。だからせいぜい今の僕の時代に出来ることは「すべてはもう終わってしまった」と報告することぐらいではないだろうか、そう暗澹と思っていた。

そんな心象を抱えつつ赴いていった場所場所で、不思議と引き寄せられるように祭や神事に遭遇した。一度ではなく、それも何度も。日本中の神々が出雲大社に集結するという神無月に、島根へのロケが決まっていたこともあった。(無論僕は島根だけが神在月と呼んでいるなんて当時知りもしなかった)鼻息荒く再度述べるが、計画してでではなく、偶然に遭遇したのである。まさにドキュメンタリーだ。説明しづらいことだが旅の過程で、なにかものすごく大きな塊のようなものに触れてしまったような感覚があった。ここに来て前言を撤回せねばなるまい。「もう終わったこと」だと思っていたことが、実はまだかなり濃厚に残っていたのである。

それらは遥か遠くに消えてしまったのではなく、僕らの「ちょっとだけ遠く」にいくらでもあったのだ。普段僕らは看過し続けて横を通り過ぎていくだけだが、少しでも足を踏み入れてみれば、まだそこにあるものである。ある時は50年ぶりに再現してもらった雨乞いの儀式を見て、その後本当に雨が降ってきた。またある時はフンドシと白装束を着て山伏修行に同行参加して滝に打たれた。ある時は山奥でトチの木を斧で伐り、その切り目に「ナリマスナリマス」という呪文を唱えながら米を詰める夫婦を見た。これが平成も二十数年を過ぎたこの国なのだろうか。遥か遠い昔にタイムスリップしてしまったかのような感覚に度々襲われた。再現VTRとしてではなく、リアルに眼前で行われているものを自分が撮っているというその事態を、中々飲み込めなかった。

人口減少や自然崩壊、獣害など行政の課題や社会問題などを追っていたはずが、なんとなしに意図せざる、一つの方向に引っ張られていった。映像編集を終え、途方もなく膨大な内容に膨れ上がってしまったこの映画にどのような名前をつけようかと色々考えあぐねた末、この「産土」という言葉を選んだのは、ある意味必然だったのかもしれない。僕は先々の産土を探し求め、そこに参詣し続けたのだ。そしてそれは二時間の処女長編ドキュメンタリー映画になった。

完成してからの5年間、あちこちで小規模な上映会を開いてきた。イギリスやカナダでも上映した。だが当然上映回数は年々少なくなっていく。僕の意識もどんどん離れていく。いつだっただろうか、取材した方が亡くなった話を聞いた。身内が逝ってしまったようで僕は泣いた。それから幾人もの方がなくなった報を聞くことになる(本作に登場する野口さんも近年亡くなられた)。彼らから伺った話は、自然淘汰の法則に従うのならば消え去るべき類の話なのかもしれない。だが、それでも誰かがそれを覚えておくべきではなないのか。そういう想いが僕の中で次第に募っていた。これを必要とする人はまだいるのではないか?とも。情報の波に流されることなく、多くの人が目にすることが可能なこのヤフーのページ内で、本作(の一部)を発表し、アーカイブできることを大変うれしく思う。随分と時間がかかってしまったが、ようやくなにかが整いだしてきたなとも思う。

これから数回に渡り、誠心誠意の映像と駄文とをお届けしたいと思う。


●木頭村 「宝物」だらけの山村


まず第一回目の取材地は、四国の山奥で徳島県は木頭村(きとうそん)という場所に向かった。ここは徳島市内からでも2時間はかかるほどのかなりの奥地にあり、今のように道路が舗装される前は「地獄街道」と称されるほどだったようで、聞くところによると、ダンプの運転手がドアを半分開けておいて、いつでも飛び降りれるようにしながら運転していた程であったという。山は遠くから望むと、空の下に広がる雄大な山のフォルムと、それを埋め尽くす緑一色の世界でしかないが、中に入ってみると思いもがけないものに出会うことができる。「宝物」とは、年配の人々の持つ記憶や知恵のこと。木頭村はそれに満ちている。

この地の98%は、森に覆われている。人が住めるのは残り2%以下というほど山深い場所なので、一世代前までは一生そこから出たこともないような人もかなりいた。行くことも来ることも大変なので、外からの影響も受けにくいため、ある種の「文化的ビオトープ」とでもいうべき種々の古い伝承が未だに残っていたりする。一例をあげるならば、『万葉集』に登場する日本史上最古の布・太布(たふ)が、細々とではあるがいまだに作られている(これは本居宣長が「徳島の奥地にあるらしいけど不明」と書いていたほど、江戸時代でもすでに激レアなものだった)。太布とはコウゾの葉で作られた布である。保存会の人々が相当な手間ひまをかけて葉を布に変える作業をしているのだが、どんなに頑張っても年に2反程度しか作れないため、どうあがいても商売にはならない。ただ技術を途絶えさせてはならないという一念でのみ、これは続いている。(参考記事;産土プロジェクト 太布)

温暖で降雨量の多い気候であったこともあり、木頭村は古くから林業が栄え、多くの男たちがそれに従事してきた。80歳をゆうに越えた数人の「山の達人」たちに僕は出会うことができた。彼らは戦前・戦後・現在に至るまでの林業と、数々の生活文化の変遷の生き証人であり生き字引だ。皆小学校にあがるかどうかの頃から山に入って手伝いをはじめ、長じるにつれて狩猟や焼き畑など、ありとあらゆることをしてきた。戦争に行き戦地で、誰も伐れなかった木をスイスイと伐って手柄をあげたり、捕虜になっても何とか生き延びて帰ってきたような人もいる。奥地であるので生活必需品の端々は、中々手に入りにくい。今でもそうなのだから、昔では尚更だろう。彼らは不足があればなんでも作ってしまう。ある老人(映像に出てくる大城さん)が持っていたナイフは、古いヤスリを研ぎ、鹿の骨を柄にしたお手製のものだ。彼は若い時、木馬(きんま)という運搬車を押していて不意の事故で足がねじ曲がってしまったのだが、近辺に生えている薬草を蒸して湿布代わりにして治したこともある。子供の時は学校に行くために毎日ワラジ(木頭村では「あしなか」と呼んでいた)を作っていた。一日で一足(或いはそれ以上)を履きつぶしてしまうので、毎日作らねばならなかったのである。必要に迫られていただけとも言えるが、まさに究極のDIYライフであった。太布もなぜ残ったかというと、服を遠くへ買いにいけないために自分たちで生地から作っていたことから残ったのだった。今ではもう消えてしまった幾多の「生活知」がここに豊富にあったのだろうと想像すると、なんとも言えない気持ちになってくる。

●移ろいゆく林業


木馬の映像


林業の形態は、ここ50年、60年で大きく推移したのが素人でも分かる。簡単に言えば人力から機械になった。その詳細を見ていけば、斧での伐採からチェンソーになり、木馬(きんま)と呼ばれる木製の車で人力での運搬方法から、索道(さくどう)という名の空中ケーブルでの運搬方法にシフトしていった。かつては堰を作って材木を町の方へ向けて水力で流すしかなかったが、今では大きなダンプカーに積んで運びだせる。すべてが便利になり、高速になった。そして昔の技術や知識や経験則は今や役立たずになってしまった。だがひょっとすると、いつの日かまたそれが必要になる日が来るかもしれない。

今はまったく実務上の風景からは消えてしまったが、こういうものがある。堰をどーっと切った時、流れの中で滞ってしまった木が出る。その上に人が乗り、曲芸師のように川下まで竿一本でスイスイと下っていくことをかつては「一本乗り」と呼んでいた。当時は林業における花形であり、一番の「イケメン」として扱われたのだ。おそらく「一本乗り」の達人は、たいそうモテたに違いない。木頭村では今でも毎年講習会や大会を開いている。無論、それを忘れないためだ。

また「おららの炭小屋」というものがある。「おらら」とは「俺たち」の意の方言。今やすべてガスであったり電気で調理するようになったし、火鉢を使うこともないので炭の需要はほとんどないに等しいが、こちらも技術を継承するために炭窯を作って、炭作りの講習を定期的に行っている。炭化した木々は見分けがつかないが、古老たちはまたたくまにそれを識別してしまうのである。木によってそれぞれ役割が違い特性がある。こちらは全く違いを理解できず、聴いているだけで脳味噌がすぐに一杯になってくる。


参考:おららの炭小屋

●妙な世の中になったものじゃ


本作では老人たちのかなり悲観的な話を取り上げた。なぜならば町に住む人々の多くがそれを知らないからだ(彼らや山の住人にとっては自明なのことである)。僕も取材に赴く前はそんな一人であった。

都会から旅行者たちの一群が山村にやって来たとする。彼らのうちの多くは「緑が一杯で美しい!」と幸福そうに呟くだろう。だが目をこらしてようく見てみると、そこは大量の杉やヒノキなどに覆われている。兎もいなければアカハライモリもいない。あちこちの斜面が崩落し、シカやイノシシ、サルやクマが田畑を荒らし続けている。かつては子供が飛び込んでいた川の水位は昔の半分以下になり、砂利に満ちた河原を晒している。映像の中にも登場するその道66年の大ベテラン竹岡さんは、「妙な世の中になったものじゃ」と呆れながら言った。彼の言うようにこのままでは「杉林」が「杉藪」になってしまうし、日本の林業は駄目になってしまい、山々は本当に崩落してしまうんだろう。

実際木頭村の撮影期間中に台風が来て、大雨が降った。インタビューする予定の方の家の丁度目の前がごっそりと崩落してしまったのを目撃した。こういうことは日本のあちこちで日々起きているが、それらは当事者たちだけの問題なんだろうか。だがちょっと考えればすぐに分かる。僕らは毎年のように大量に飛散する杉花粉に苦しみ、時として水を蓄えられなくなった山に大雨がふり、大量の水が僕らの家の床下を濡らし、時には押し流すのだから。これは他人事ではないのだ。「おかわいそうに」と遠くから唱和していてもなんにもならない。

手遅れになる前にどうすればいいのか、僕には分からない。だが少なくとも知ろうとすることはできる。僕は専門家ではないので専門的な知見から山では何が起きているのかを解説することは出来ないし、何が悪いか正しいのかを明確に断定することも出来ない。言い訳するようで恐縮だが僕はただのカメラを持った男で、これは僕が古老たちや実際に今山に入った人々から聞いてきた話だ。

これはただの印象に過ぎないが、達人たちは自分が仕事として広葉樹を一本残らず伐ってしまったことや、補助金をもらうために1町歩3000本の杉を植林し続けたことを悔いているように僕には見えた。後悔し、これから先の孫子の時代のことを思って、呆然としているようにも。幾多の保存活動をボランティアで行うのは、ともするとそのような事情があるのではないかとも邪推する。生活のために、子供を育むために、人はなにかを破壊をせざるを得ない。そして大分時間が経ちもはや取り返しも付かなくなり、人は途方に暮れるのだ。




<作品クレジット>
【出演】野口菊秋、大城慶太郎、竹岡章、岡脇文吾 他(敬称略)【キャラバン隊員】ジャン・フィリップ・マルタン、堀川ジュリアン健太、川口泰吾、長岡マイル【制作】荒川あゆみ 【写真提供】中野みねこ(中野健吉『ぬくいぜんか』より) 【音楽】主題歌 Antennasia ”Maht o luisa” 劇中曲提供 門脇悠 【現場コーディネート】玄番隆行 / 玄番真紀子 【撮影協力】那賀郡役場木頭支所 【映像提供】真田純子 / 上野良夫 【プロデューサー】トム・ヴィンセント 【製作】長岡活動寫眞 / トノループ・ネットワークス【撮影・編集・監督・ナレーション】長岡マイル

千葉県県生まれ。長岡活動寫眞代表。東京でフリーランスとして、様々な自主映画のカメラ・照明・美術スタッフ、伝統工芸の紙加工職人の弟子、映像アートプロジェクトの主催、NPOのアートディレクター、映像会社のクリエイティブディレクター等として働いた後、2010年徳島県神山町へ移住。神山町で長岡活動寫眞を立ち上げ独立。 現在は徳島県で“最後の村”佐那河内村の山の上にある古民家で家族6人で住みながら、ドキュメンタリー映画と広告映像を制作している。 代表作『産土』『神山アローン』等。

その他の新着作品