帰還後の福島:富岡町ーみんな帰ってこない、でも大地とともに生きる

2018年04月19日



畑の中を歩く松村直登さん


(この記事はYahoo!ニュース 個人で2017年7月28日に配信されたものです)

原発事故後も、全町避難になった町にずっと一人で残った男


私は2013年の夏から4年間、全町避難になった町・富岡町に一人残り、動物たちと暮らしている松村直登(まつむら・なおと)さんを取材し続けている。その様子を2年前に「ナオトひとりっきり」というドキュメンタリー映画にまとめ、全国で劇場公開した。原発事故直後、松村さんは両親と避難をしようとしたが、避難所がいっぱいだったため、体の悪い両親に無理をさせまいと実家に留まることにした。後に両親は兄弟によって避難したが、松村さんは一人自宅に留まることにした。そして誰もいないと思っていた町を周っていると、たくさんの動物たちが残されていて、お腹を減らせているのを発見し、餌を与え始めた。松村さんにとって動物たちは、同じ町の仲間で、見捨てる訳にはいかなかった。犬猫たちは動物愛護団体の人たちが救助して連れて行ったが、牛たちが残された。その多くは殺処分をしたくないという畜主から預かったものだった。そして松村さんは牛30頭と、ダチョウ2匹、猫2匹と犬1匹で暮らし始めた。
日本の大手メディアは避難勧告をされている場所に留まっている松村さんを取材することを自主規制した。避難勧告されている場所に、人と生き物たちがまだ生きていることを伝えることは、当時、タブーだった。そんな松村さんのことを伝えていたのは海外のメディアだけだった。私も海外のメディアを通して、松村さんのことを知り、取材したいと思った。テレビでの取材の企画は案の定、通らなかった。それなら映画にするしかない。「テレビで伝えられないことを、伝えるのが映画だ」そう思い、一人でこの場所に通い始めた。


4年間、通い続けて見えてきたこと


この4年間で、富岡町は大きく変わった。その変貌は拙作「ナオトひとりっきり」と、その後のレポートを見てもらうとよく分かる。最初、無人だった町で除染が始まり、日中に作業員が行き来するようになった。津波で流され、めちゃくちゃになっていた富岡駅は撤去され、そこには巨大な焼却炉が建てられ、放射線廃棄物が入った黒い袋の山の仮置場になった。廃墟となった大型スーパーの駐車場には車が一台もなかなったが、徐々に除染や建設作業員の車やトラックであふれるようになった。「復興」の足音が着実に近ついてきているのが伝わってきた。帰還宣言をした富岡町は一年でさらに大きく変わっていた。富岡駅前から黒い袋の山は撤去され、新しい駅が再建中であった。また大型スーパーが再開し、品物であふれていた。町役場も郡山から戻ってきた。上下水道もなく、何もなかった4年前から、大きな変化である。
しかし変わっていないのは、町の人々が置かれている状況だった。町に戻ってきたのは、全体の人口の約1割ほどで、そのほとんどが老人だった。帰還したと登録している人たちの中でも、別の場所に建てた新居と行ったり来たりしている人が多く、役場の職員のほとんども別の町から通っているという。新しい災害復興住宅も建てられたが、ほとんど人は入っていない。そして町の3分の1はいまだに帰還困難区域で、除染も始まってはいない。急速な形ばかりの「復興」の裏で、町の人々は取り残されてしまっている印象を受けた。


みんな帰ってこなくても、大地とともに生きる


今日も松村さんは牛の世話をする。30頭ほどいた牛たちは、老衰で何頭か亡くなって、今は18頭ほどになった。この牛たちの寿命も後5年ほどだろうと松村さんは言う。「この牛たちを最後まで看取る」それが松村さんがずっとかがげてきた使命だ。最近、松村さんは震災前にやっていた養蜂を再開した。はちみつから検出されるセシウムを測れば、農作物にどのくらいの放射能が残っているかが記録できるだろうと目論む。そして家の畑で、かぼちゃやトマトを栽培し始めた。普段の食べ物も、自宅の畑から採ったものばかりだ。
ふるさとで生活したいと、戻ってきた人たちもわずかならいる。松村さんに牛たちを預けている半谷信一さんは、夫婦で1年ほど前から自宅に戻ってきている。毎日、畑に出て、野菜作りに精を出す84歳の半谷さん。松村さんは、よく半谷さん夫婦のところを訪れて、採れた野菜を交換したり、種を分け合ったりしている。
「町の多くの人たちは、たくさん補償金をもらい、別の地で新たな生活を始めていて、仕事もないこの町に戻ってくることはないだろう」と松村さんは言う。ここに戻ってくるのは、ふるさとの大地の恵にふれながら生きていきたいという、わずかばかりの年寄りだけだ。「町が元に戻ることはない。今、生きている年寄りたちが死に絶えれば、この町には、他所からきた原発関係者だけが残り、別の町になるだろう」そう松村さんは遠くを見つめながら語った。誰のための「復興」なのだろう。変わっていく町の風景を見ながら、改めて思った。





<作品クレジット>
【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

16歳で単身、ロンドンに留学。ロンドン大学を卒業後、ニューヨークに渡る。コロンビア大学大学院を卒業後、ニューヨーク大学大学院で映画を学ぶ。2006年、高良健吾の映画デビュー作「ハリヨの夏」で監督デビュー。釜山国際映画祭コンペティション部門に招待される。2011年、浜松の日系ブラジル人の若者たちを追ったドキュメンタリー映画「孤独なツバメたち〜デカセギの子どもに生まれて〜」を監督。2014年、福島の原発20キロ圏内にたった一人で残り、動物たちと暮す男性を追ったドキュメンタリー映画「ナオトひとりっきり」を監督。2015年モントリオール世界映画祭に招待され、全国公開される。

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